クラウゼヴィッツ用語

「戦争論」を読む時間はないけど、クラウゼヴィッツがどんなことについて言っているのか少し知りたい、読んでいる論文にクラウゼヴィッツが引用されているけど何のことかよく分からない、「戦争論」を読んだけど重要な用語を一部忘れてしまった、という人のために、簡単なクラウゼヴィッツ用語解説をしてみたいと思います。それぞれの用語についてはちゃんと勉強したい方は、付記してある「戦争論」の箇所を読むことをお勧めします。

戦争とは

  • 戦争とは他の手段をもってする政策の継続である[War is the continuation of policy by other means.](第1編第1章24)

    「政治的交渉の方針は戦争におけるあらゆる事象を支配し、結びつけ、戦争間から講和にいたるまで一貫して維持される」(第8編第6章)クラウゼヴィッツのこの有名な格言は、軍事に対する政策優位思想(シビリアン・コントロール)の根源だと考えられています。ナポレオンのように政治と軍事の指導者が同一人物の場合問題はないが、そうでなければ、将軍を内閣の一員に加えることによって、政治指導者は軍事的問題へ関与すべきだ、と考えました。彼はこの思想を基礎に、さらに戦争の目的/目標/手段の関係について論じています。

  • 目的とは、戦争によって達成しようとする戦争目的、すなわち政治的目的[political purpose]のことであり、目標とは、戦争において達成しようとする戦争目標 、すなわち軍事(作戦)目標 [operational objective] のことである。(第8編第2章)
  • 戦争は相手に我が意志を強要するために行う力の行使である。[War is an act of force to compel our enemy to do our will.] (第1編第1章2)

    クラウゼヴィッツは、戦争の最終目標はあくまで政治的な目的の達成であって、一個一個の作戦が成功かどうかは、政治的な目的に貢献したかどうかで判断するべきだと考えました。李鍾學が「『戦争論』の読み方」であげている例が分かりやすいので紹介しますと、太平洋戦争の始まりとなった日本軍のパールハーバー攻撃は、被害の規模の大きさを考えると軍事的には成功した作戦だったが、対米最終通告の遅れで「奇襲」になってしまった結果、全米国民を対日参戦に結集させるはめとなり、政治的に大失敗だった、と言えます。また、湾岸戦争でも多国籍軍は軍事的には圧倒的な成功をおさめたが、サダム・フセインの失脚が政治的目的だったとすれば、大失敗だった、と言えます。「敵に自己の意志を強要する」という戦争目的のかわりに、「敵の抵抗力を無力化する」という軍事目標を戦争目的とみなすことの危険性についてクラウゼヴィッツは注意を促しました。

  • 2種類の戦争:敵の撃滅を目的とする戦争(絶対戦争)と単に敵国土の一部を侵略しようとする戦争(現実戦争)[Two kinds of War: either the objective is to overthrow the enemy... or merely to occupy some of his frontier-districts..](1927年の覚書、第8編第2章) 

    「戦争論」が大変難解なのは、絶対戦争と現実戦争という2種類の戦争についての見解が混在したままの、未完の作品だからだと言われています。本人も上記の覚書で、推敲の際には、この2種類の戦争の区別に重きをおきたい、と言っています。したがって、「戦争論」を読む時には、どちらの戦争についての分析かを常に考える必要があります。李鍾學の分類では、第1編第2章〜第6編は絶対戦争について、第1編第1章と第7、8編は現実戦争についての分析だそうです。

  • 戦術とは、戦闘における戦闘力の使用に関する規範であり、戦略とは、戦争目的を達成するための戦闘の使用に関する規範である。[Tactics teaches the use of armed forces in the engagement; strategy, the use of engagements for the object of the war.](第2編第1章)

戦争に関わっておこる事象

  • 摩擦 [Friction in War] (第2編第7章)

    クラウゼヴィッツは、本当に起こる戦争は計画上の戦争(war on peper)とは大きく異なるとし、それは予想できない小さな出来事が、本当の戦争には数えきれないほど起こるからだ、としました。この戦争の不確実性を「摩擦」と呼びます。理想的な将軍はこの「摩擦」を理解して、できるだけ避けたり、完璧な目的の達成を期待しない、とクラウゼヴィッツは言います。また、「摩擦」は鉄のような強い意志力があれば乗り越えることができる、と言っています。前の例を使うと、パールハーバーの攻撃の際、最終通告が遅れて攻撃のあとになってしまったことは日本軍にとって大きな「摩擦」だったと言えます。

  • 戦争の霧 [Fog of War]

    戦争の霧は、戦争指揮に関わって起こる摩擦のことを言います。特に、情報が多すぎたり少なすぎたりという、状況を正確に把握することを妨げる摩擦のことだと思われます。

  • 戦争の三位一体 [a paradoxical trinity](第1編第1章27)

    クラウゼヴィッツは、戦争を支配する3つの要素をあげ、それらの絶妙のバランスを三位一体と呼びました。1つは国民の「憎悪などの感情」、2つ目は軍隊の「戦争を遂行する上での能力や創造力」、3つ目は政府の「理性」です。「戦争において燃え上がる激情は、戦争に先立ってすでに国民のなかに必ず存在しなければならない。多くの偶然を伴う確からしさの領域で、勇気や天才がどれほどの役割を発揮するかは、将軍とその軍隊の特質によっている。しかし、政治的目的は、政府のみに属している。」ベトナム戦争ではアメリカ国民の戦争に対する支持が薄れ、この3要素のバランスが崩れたと分析する学者(Summersなど)もいます。

  • 重心 [Center of Gravity](第8編第4章)

    クラウゼヴィッツは、攻撃で最も重要なこととして、「敵の重心」を攻めること、と言いました。重心とは、敵の軍事力・政治力の核のことです。例としてクラウゼヴィッツは、同盟国に頼る小国の場合は、その同盟国の軍隊が「重心」、国民の武装蜂起の場合は、その指導者個人と世論が「重心」と言っています。この「重心」の概念はベトナム戦争の結果の分析においてよく使われるようになりました。例えば、アメリカ軍の失敗は、本当の重心はゲリラ軍をサポートする大衆にあったのに、間違って重心をゲリラの兵隊たちにあると考え、大衆とゲリラの隔離を図らなかったから、などの議論です。

  • 防御という戦争方式それ自体としては、攻撃よりも強力であると言わざるを得ない。[The defensive form of warfare is intrinsically stronger than the offensive.](第6編第1章)

    クラウゼヴィッツは、防御は攻撃よりも有利であるという考え方を「戦争論」全体を通して強調しています。防御の優位性は、主に1.地形の利用、2.準備された戦場の保有、3.国民の支援、4.待ち受けの利、にあると言っています。(第7編第22章)

  • 攻撃の限界点 [the Culminating Point of the Attack](第7編第5章)

    戦闘(戦術)レベルにおいて攻撃側が優勢を維持している時、それ以上攻撃を続けると逆に攻撃の優勢が衰え、防御側の力の方が強くなる境目がある、とクラウゼヴィッツはいいます。その境目を「攻撃の限界点」と呼びます。戦闘の目標はこの「攻撃の限界点」を目指し、でもそれを超えないところで戦闘を切り上げることが理想的な攻撃です。

  • 勝利の限界点 [the Culminating Point of Victory](第7編第22章)

    上の「攻撃の限界点」と考え方は同じですが、こちらは戦略レベルの概念です。「勝利の限界点」とは、攻撃側が有利に戦争を進めていても、それ以上の「勝利(の状態)」の拡大を見込めない、もしくは逆に退散しなくてはならなくなる境目の点をいいます。この「勝利の限界点」を見極める力が大変重要です。しかし、どこがその限界点かを言い当てるのは大変困難なため、ほとんどの将軍はそこに到達する前に戦争をやめる、とクラウゼヴィッツは言っています。

     

英語訳抜粋箇所は、Carl von Clausewitz, Edited and Translated by Michael Howard and Peter Paret, On War, Princeton University Press, 1989、日本語訳引用箇所はクラウゼヴィッツ著、日本クラウゼヴィッツ学会訳「戦争論 レクラム版」、芙蓉書房出版、2001より。参考文献として、 郷田豊、李鍾學、杉之尾宣生、川村康之著、「『戦争論』の読み方ークラウゼヴィッツの現代的意義ー」、芙蓉書房出版、2001